chikyu Bijo Nendaiki

女性美を医学的・性愛学的・九星占術の視点で追究します。

母の追憶

「母はプロボウラー」(ショートストーリー)

この年は、世界的なオイルショックで、誰もが右往左往していた。中東情勢が不安定になり、原油価格が高騰したからである。各国では節電のため、夜になると街角の灯かりは姿を消していた。ガソリンスタンドは、平日のみの営業となる。灯油を手に入れるのも楽ではない。TVも夜の放送は自粛していた。石油の値上がりで、未曾有の不景気が台所まで押し寄せる。
スーパーでは、トイレットペーパーや洗剤の買いだめをしようと、長い行列が押し寄せる。あっという間に、店頭からは品物が姿を消していた。僕の周りでは、各家庭で融通し合っていた。企業の就職に内定していた僕には、無期限の待機通達が届いていた。早い話し、内定の話しは無かったということになる。先行き不透明な経済の見通しで、求人を控えた企業が続出していた。僕の友人でも、その煽りを食った奴はかなりいる。
父が会社を辞めて以来、パートに出ていた母は収入が不安定で、家計は風前の灯火となりつつある。父の収入がないとなれば、なおさらのことである。母は働きにでても、時間に見合う収入ではなかった。だが、時折彼女は大枚を運んでくる。母はどういう仕事かは、一切教えてくれなかった。夕方ともなると、僕と妹は母の豪華な景品を、時折目にしていた記憶がある。母は手ぶらの時のほうがほとんどであった。それでも一時の幸せ感を得る事はできた。
そんなことで、僕と妹は母や父の職業欄に、いつも自由業と書いていた。子供には親が、どういう仕事なのかも分からない。仕方が無いのである。
それでも、母はいつも体を鍛えていた。日の出前には、仲間たちと、公園の周りをジョギングしては汗を流す。筋肉質で浅黒い肌は、父とは正反対である。
母は出かける時には、いつも派手な化粧をし、大きなバッグを抱えていった。化粧の後には、地味な一重瞼が、突如宝塚スターの長いまつ毛になる。派手なアクションは、日常でも見慣れているから違和感はない。遠目で見ると、水商売での稼ぎ頭とも思えなくもない。ほんとにそうなのかと、聞く勇気もない。 僕には母がミステリアスに見えていた。まったく、つかみ所がないのである。母の素顔はそれほど目立つ程ではない。女は変われば変わるものである。思春期の僕でもゾクっとするような艶やかさである。それが中学生の頃からずっと続いていた。
僕は高校に入ってから、清掃会社でアルバイトを続けた。学費は何とかそれで凌いでいた。母の年間の稼ぎなどより多いときもあった。結果的に、僕は母と共に家計を支えていた事になる。父と妹の面倒も見なければならない。小学生の頃までは、父もまじめに商社の広報室で働いていた。僕が中学にはいって父は突如会社を辞めている。それ以降、家族はいつも綱渡り生活である。
この時から父は、突如、自称作家を名乗りはじめた。僕たちは唖然としていたが、それでも、母は相変わらず笑みを絶やさない。子供達に動揺をさせないためでもあったのだろう。と僕は単純に想っていた。だが、そういう事ではなかったらしい。母には、父の放浪癖は、織り込み済みだったのである。
仕方がないわねぇ、じゃ、やってみるか、と母は仕事に出かけていた。父の原稿の収入など、少しも入ったためしがない。母には、どこからそういう自信が湧いてくるのか、僕には母が理解できなかった。
親父に才能なんかあるの?、と母に聞くと、さあねぇ、あるんじゃないかしらねぇ、でも生きている間に、期待するのは酷なようね、などと母は人ごとのように言う。
僕は引き続き清掃会社でアルバイトをしながら、再度就職口を探す事になった。父は取材と称して母に無心を繰り返していた。父は本当に取材で家を空けているのか知れたものではない。勝手気ままな父でもあった。家族の不信感は日に日に募るばかりである。
女の人でも出来たんじゃないの、と僕は背伸びをして言わない事には、気がおさまらなかったのである。そんな訳で、僕の妹は大学の進学を諦め、オイルショックの前に商社のOLになった。
母は母で、暇を見つけてはジョギングに勤しんでいる。母は結婚する前までは、父のいた会社にしばらくいたらしい。そこで父と知り合った。妹はそんな伝手で縁故採用となった。母の話しでは、父はその会長の子だという。
高齢の石原会長には本妻に三人の子がいた。男児はいない。内縁の聡子さんには四人の子供がいた。母の言うには、彼女は新潟美人で、献身的であったという。認知はすでに行なっていた。
父がビジネスマンには、向かない事を悟った会長は、愛想をつかし勘当したらしい。父が会社を辞めた時である。父は長男である。二男二女のうち、一番わがままで育っていたという。会長の後を継ぐのは次男のようである。
たしかに何時も話題が豊富で、面白い父ではあった。彼の、人を斜めからみる特異な眼は、浮世離れの性格に輪をかけてしまっている。だが父の背中には、生活感や経済感覚を感じることはなかった。庶民の慎ましい暮らしぶりなど目にも止めない。スーパーの野菜や肉がいくらとか、学費がいくらとか、生活費はどのくらいなのか、などと考えてもくれないのだ。
僕と妹はライオンの子供ではない。崖から突き落とされたら、這い上がる術もない。周りからは、大変よねぇ、大丈夫?などと言われてはいたが、心の中ではさぞ同情しているに違いなかった。人の不幸や災いを見ることで、人には決して言えない陶酔が宿る。
父は困った時だけは、母に救いを求めに来る。いまでは年に数えるほどしか家には帰ってこない。家族にとっても、父には存在感はなきに等しい。僕は、父がいつもどうやって暮らしているの、という気配りどころではなくなっていた。僕と妹が何とかやってこれたのは、いつも天心爛漫な母のお陰だと思っている。母は転んでも、決してただでは起きない。転ばされたら、転ばせたほうには、法外なリスクを負わせる。母には笑みのなかにも、そういう威圧感もあった。
その母が、早朝のジョギング中に、突然死にあった。病院の医師からは全身にガンの転移ということだった。父からは相変わらず、なんの音沙汰もなかった。生前母はいいから、いいからと、父をかばっている。母はいつもそういう態度を取っていた。でも、どうして彼女が、父の肩を持つのか、僕には理解できなかったのである。僕と妹は、母が結婚する前の事は、謎の部分が多い。父もああいう性分だから、聞く機会を失っていた。
あれから40年、母の遺書が見つかった。それによれば、父は母が十代の頃強姦で襲われようとしたとき、命をかけて助けてくれた初恋の人だった。それいらい父は左手が不自由になった。僕達にはその理由を明かしてはくれなかった。だが、母は僕達が大きくなるとピュアなロマンスに走っていった。それが若さの秘訣だったかも知れない。父には父の事情があったのだろう。母は立派なプロボウラーだった。
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